あたしの彼はご主人さま -5

「高見ー」
 放課後の教室で鞄に教科書を入れていると、名前を呼ばれた。振り返るとドアの向こうに見慣れた人影が立っていた。周囲を素早く見回して先生がいないことを確認してから、彼は教室に入ってきた。
 さらさらの前髪を綺麗に揃えてて、ちょっと細めであまり背は高くない。それほど目が大きいわけじゃないけど、どこか男になりきれてない感じの中性的な綺麗さがあって、美少年という表現が一番相応しい。あんな可愛い弟が欲しいと学園祭でアイドルに祭り上げられたこともある。もっとも、本人はかっこいい男に憧れているらしくて、自分の容姿について不満を漏らしていた。プロテインを飲もうかと悩んでいるらしい。前に一度、そんな話を聞いたことがあった。
「なに、安川くん」
 学校では互いに苗字で呼び合うこと。これが生徒間での暗黙のルールだった。
 あたしの通ってる高校はいわゆる進学校で、このご時世にも男女交際禁止を先生たちが堂々と言うようなお堅い学校だった。勿論、みんなそんなことを真面目に守っているわけはなくて、バレないように付き合ってるけど、でも公には誰も彼氏彼女はいないことになっていた。
「高見さ、今日このあと、予定ある?」
 訊かれてあたしは頷いた。
「図書館に行こうかと思ってたんだけど、なあに?」
 うちは片親でそんなに裕福な家じゃないから、塾とかは行ってない。貧乏なあたしが私立の高校に入れたのは、奨学生推薦枠のテストに運良く受かったから。奨学生はある一定の成績を維持することが義務付けられてたから、勉強は教科書と通信学習の教材でやってた。参考書はさすがに買うけど、それ以外は図書館で借りて済ませてる。雑誌なんかもできるだけ買わないようにしてる。ママはあたしが困らないよう気を使ってくれてて、お小遣いはそれなりにくれたけど、でも細々したものを買ってると、いつのまにかなくなっちゃう。
「あ、ああ、そうなんだ」
 彼氏はぱちぱちとまばたきをしながら頷いて、そしてちょっと意味深な眼をした。
「俺も、一緒に行くよ。ちょうど借りたい本があるから」
 言いながら、あたしの顔を覗き込むように笑った。
「そのあと、ちょっと付き合って欲しいんだけど」
 ああ、そういうことか。





「あ、くう、あぁ。いいよ、高見」
 じゅぶじゅぶと音を立てて吸い上げると、彼氏は天を仰ぐように喘いだ。
「もっと強く吸って、サオもしごいて」
 言われるままに軽く沿わせていただけのものを握って、ごしごしと上下させる。顔も動かしながら口をすぼめるようにして強く吸った。
「う、くっ、いいよ。ああっ」
 無意識なのか意識しているのか、ぐいぐいと顔に押し付けるように腰を動かしてくる。毛が鼻の下をくすぐってこそばゆい。くしゃみが出ちゃいそう。
「ああっ、出る、出るよ! もうイくよ、うううっ!」
 びくびく震えながらびゅくびゅくと弾けて、口の中に苦い液が叩きつけられる。はぁはぁ喘いでいる彼氏からゆっくり離れると、ちょっと顔をそむけるようにして、あらかじめ足元に置いてたティッシュをしゃりしゃりと数枚抜き出して口に当てた。口腔内に溜めてた、どろっとした白い液体をティッシュに吐き出す。
 口の周りを丁寧に拭いていると、視界の端に半裸の彼氏が近づいてくるのが見えた。上は制服のシャツとネクタイで、下半身は丸出しというのは間抜けすぎる格好だと思う。今出したばっかりだけど、でも半透明の黒いのを被せられたそれは、シャツのすそを突き上げてその存在をアピールしていた。いつもはピンクか薄紫のなのにと眉をひそめてから、ロングプレイ用の箱があったことを思い出す。
 あれは箱も黒かったけど、中身も黒だったんだ。ああ、なるほどね。一応、気にしてることは気にしてるんだ。そんな醒めた目で見ていた。
 変だなあ。あたし、この人のこと好きだった筈なのに。バージンあげたくらいに好きだった筈なのに。確かに、彼のセックスそのものは好きじゃなかったけど、彼が求めてくるなら彼が気持ちいいのなら、別にあたしは感じなくてもいいかなと思ってた。彼に触れられたりキスされたりしただけでドキドキしてた。
 なのに、どうしてこんなふうに思ってるんだろう。どうして比べてるんだろう。
「なあ、もう挿れていい?」
 はぁはぁと荒い息を吐きながら訊いてくる。でも、あたしの意見なんか関係なく、もうすっかりその気なんだとわかっていた。だって、いつもそうだから。こっくり頷いて見せると、すぐにあたしに覆い被さってくる。これもいつもと同じ。胸を揉んでスカートをめくり上げて、汗ばんだ手がショーツの中に入ってくる。あそこをちょっとだけ触ってから、彼氏は溜息をついた。
「やっぱり濡れてないな。ローション取って来る」
 なんか、ムカつく。





「もしもし、千紗です。今から会えませんか?」
 そう告げると、電話の向こうの相手は簡単にオッケーを出してくれた。

 彼氏の部屋から出てすぐ。
 駅のそばのセルフサービスのコーヒーショップに、彼はあたしより先に来て待ってくれていた。
 こないだ、別れてすぐにケータイにかけてくれたのを無視しちゃったことも、そのくせ突然電話をかけてきた理由も、何も訊かずに、ユーキさんは黙って呼び出されてくれた。あのときはひとりえっちしてました、だなんて言えないし、だからあたしも何も言わなかった。気付いてないふりをした。
「あの。急にお呼び立てしてすみません」
 ぺこりと頭を下げるとユーキさんは驚いたようにちょっと目を見張り、そして優しく笑ってくれた。
「たった三日なのに見違えるね。服のせいかな。それ、学校の制服?」
「あ、はい。着替えてくるの面倒だったんで……」
「うんうん。すごく可愛いよ。よく似合ってる」
 頷きながら笑ってくれる。お世辞だろうとは思うけど、でもやっぱり褒められたら嬉しい。それが人間心理だけど、中でも飛びぬけて女の子はその傾向が強い。いつだって褒められたい、見て欲しい、気付いてくれなくちゃイヤ。
 ユーキさんみたいなおとなの人はそのこともわかってるんだと思う。わがままだなと内心で苦笑しながらも、それも含めて受け入れてくれる。
「えへへ。あ、ありがとうございます」
 照れながらお礼を言って、彼に指し示されるままに真正面の席に座った。
「で、今日は急にどうしたの?」
 カップを置きながら、ユーキさんはいきなり本題に入った。
「あ、やっぱりなんかご用事ありました? そりゃありますよね。ごめんなさい、あたし何も考えてなくって……」
 慌てて謝りかけると、彼はそうじゃないよと笑った。
「千紗ちゃんに呼ばれるんなら、俺はいつでもどこへでも」
 おどけた調子でそう言いながら、テーブルの上に立てられていたプラスティックの小さなメニュをあたしの前に置き、なんか飲む、と訊いてくれた。
「あ、ええと。じゃあ、カプチーノで」
「かしこまりました。千紗ひめさま」
 すっと立ち上って芝居がかった仕草で仰々しく一礼すると、ユーキさんはそのまま注文用のカウンターに向かった。その後ろ姿は背が高くて肩幅が広くて、かっこいいかも。店員さんと話している横顔も男臭すぎない男っぽさで、短めの髪や少しゴツめのあごのラインなんか、いいかも。柑橘系の匂いも大きな手のひらも切れ長の優しい目も、上手なキスもすごいえっちも、やっぱりあたしは好きかもしれない。
 彼のこと、好きかもしれない。
「はい、お待たせしました」
 考え込んでいると、目の前に小振りのプラスティックのトレイが置かれた。ふわふわに泡立ったミルクの中から、あたたかいコーヒーの香りが漂ってくる。
「あ、あの。幾らでした?」
 鞄から財布を取り出そうとしていると、彼の腕が伸びてきてあたしの手をつかんだ。そのまま引っ張られる。そして彼は、あたしの手の甲に唇を押し付けた。
「あ、ちょ、ちょっ……」
 一瞬だったし、周囲はみんな自分たちの会話に夢中だし、誰も見てなかったと思う、けど。でも、こんなところで、いきなりなにを。
「カプチーノ代いただきました」
 慌てるあたしに彼は悪戯っぽく笑った。
「や、やだちょっと。は、恥ずかしい、じゃないですか……」
「ごめんごめん」
 くすくすと笑いながら、ユーキさんは自分のカップを取り上げた。真っ黒な液体が入っていた。多分、ブラックコーヒー。彼にそんなつもりはないんだろうけど、なんだか年齢の差を見せ付けられたような気がする。ミルクが入ってないと飲めないあたしと違って、そういうのが美味しいって思う人なんだろうな。ユーキさん、おとなだもんね。
 どうしよう。あたし、どうしよう。
「あの、ユーキさん」
 声をかけると、彼はカップから眼を上げてあたしを見た。
「あたし、その。ええと……」
 スカートのポケットから取り出したミニタオルで手のひらの汗を拭きながら、あたしは懸命に考えた。どう言っていいのかわからない。どう言おう。どんなふうに言ったらわかってもらえるんだろう。そっと視線を向けると、彼は軽く首を傾けたままあたしをじっと見てくれていた。優しく細まったまなざしがどうしたのと問い掛けてくれている。
「あの、あたしっ」
 手の中のミニタオルを握って、絞るように握りしめた。
「あたし、ユーキさんのこと、好きになっちゃった、みたい、なんです」
「そうなの? それはありがと」
 そう言うと、ユーキさんはくすくすと笑う。どう見ても本気に取られているようには思えない。
「違うんです。本気で聞いてください。あたし、ユーキさんが好きなんです。好きに、なっちゃったんです!」
 小声で、でも勇気を振り絞ってちゃんと言った途端、彼の口からカップが離れてがしゃんとテーブルに置かれた。何も言ってくれなかった。その沈黙に耐えられなくて、でもそれ以上は何を言うこともできなくて、あたしは俯いて手の中で可哀想なくらいに握りしめられたクマを見つめていた。
 唐突に何を言い出すんだろうと思ってるんだろうか。からかってると思われてるだろうか。
 じゃあ、前に綺麗だって言ってくれたのも可愛いって言ってくれたのも、好きだって何回も誘ってくれたのも、嘘だったんだろうか。それとも、高校生なんて子どもだと思ってからかっただけで、こないだのことも遊びで、ちょっと気が向いたからとかで一回えっちしただけだったんだろうか。もしそうだったら、どうしよう。
 もう好きになっちゃったのに。
「千紗ちゃん」
 数十秒か、それとも数秒か。長くて短い沈黙のあと、彼は低い声であたしの名前を呼んだ。あたしをじっと見ていた。言葉にできない不安を感じるような暗い目だった。
「ありがとう、千紗ちゃん」
 ぽつりと呟くように彼は言った。言葉は『ありがとう』だけど、でも喜んでくれているようには見えなかった。あたし、断られるんだろうか。
 どうしよう、涙が出そう。
「でも、千紗ちゃん。俺はね、普通じゃないんだ」
 聞き取れないくらい低い声で、彼は言った。
「深入りしないほうが、いいと思うよ」
 どういう意味?

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