あたしの彼はご主人さま 第三部
彼があたしのご主人さま -3

「随分と、可愛らしいお嬢さんだこと」
 ビルの地下二階のお店の特別室で、芸術品みたいな長椅子に優雅に寝そべっていたその人は、あたしを見るとにっこりと笑った。
 今を盛りと咲き誇るバラを連想するような美女が身にまとっているのは、シンプルなドレスとひじまでの手袋とハイヒール。喪服のように黒一色だけど、それがなぜかゴージャスなドレスと同じくらいにあでやかに見える。大胆にカッティングされた胸元に紅い宝石が下がっていて、ちらちら見える胸の谷間とあいまって、一度見てしまうと目が離せなくなりそう。
「いきなり呼びつけてごめんなさいね。どうしてもお会いしたかったものだから」
「あ、いいえ。そんな、全然っ」
 大きくカールした、黒というにも茶色というにも微妙な色合いの長い髪を、レースに包まれた指先で弄びながら、濡れたようなまなざしで彼女があたしをじっと見た。
「あの、あたし、千紗です」
 慌ててペコリと頭を下げて、そしてあたしは俯いた。これ以上見ていると魂を吸い取られそうな気がする。
「そう固くならないで」
 金髪の女の子が持ってきた銀のお盆に載ったグラスをあたしに勧めながら、彼女はにっこりと笑った。その笑顔にドキドキしてしまう。ひとつひとつの仕草が優雅で上品で、でもとても扇情的で、まるで魔力を持っているみたいなすごい美女。彼女に見られてると思うだけで落ち着かなくなってしまう。
 あたしでこれなんだから、男の人なんか大変なんじゃないかな。そう思って、あたしの背後で黙って立っている筈の司さんに、内心でちょっとだけ同情した。
 でも、この人と司さんってどう言う関係なんだろう。というより、ここ……。
「あたくしは葵。よろしくね、可愛いお嬢さん」
 言いながらゆっくりと彼女は起き上がった。
「和真の姉よ」
 うげっ。
 思わず硬直したあたしを見て、彼女はおかしそうにくすくす笑った。
「まあ、お座りなさいな」
 そう言いながら長く伸ばしていた身体をまっすぐにして、空いた隣を軽く手で示す。
 こんなきれいな……しかもユーキさんのお姉さんの横に? なんか、気後れするんだけど。別にあたし、そっちの小さい椅子でいいんだけど。
「遠慮しないで。あたくしがあなたにここに座って欲しいの。さあ」
「はい。じゃあ、失礼します」
 再度促されて、あたしは仕方なく頷く。ちらりと視線を流すと、司さんが苦笑いしているのが見えた。かすかに『全く』と呟いたのも聞こえた。どういう意味?
「あの、姉さん」
「司。あたくし、このお嬢さんとお話があるの。席を外してて」
 あたしが長椅子の端に座るのを溜息をつきながら見ていた司さんの出鼻をくじくように、ユーキさんのお姉さん……葵さんは顔を上げてにっこりと笑った。
「いや、でも、そういうわけにも……」
「司ちゃん」
 優しくて穏やかだけれど、なんとなく逆らい難い雰囲気で彼女は笑う。威厳ってこういう感じをいうのかな、なんて考えながらあたしはその横顔を見た。
 二重の大きな目は司さんに似てるかな。でも胸はおっきいけど身体つきが細いから、印象として全然違う。姉弟って言われてもちょっと首を傾げてしまう感じ。お母さんが違ってもやっぱり同性のほうが似るんだなあ、なんて埒もないことを考えながら、あたしは二人のやり取りを見ていた。
 ちょっと妖しい笑みを浮かべた葵さんと困ったような顔をした司さんは、会話の流れから察するに、司さんのほうが分が悪いみたい。お姉さんの貫禄ってカンジなのかな。
「ほんのちょっとのあいだよ」
「わかりました」
 渋々といった感じで頷いてドアノブに手をかけかけて、そして肩越しに振り返った。照明がメガネのレンズに反射して、その表情は読めないけど。
「でも言っときますけど、そのコは和真の……」
「わかってるわよ」
 おかしそうにくすくす笑うと、彼女は軽く手を振った。
「あとで呼ぶわ」
 謎の溜息一つを残して司さんは部屋を出て行った。ドアが閉まったのを確認すると、葵さんはあたしに向かってにっこり笑いかけながら、右手のグラスを軽く上げた。
「さあ、邪魔者も追い払ったことだし、乾杯」
「乾杯」
 邪魔者って表現はちょっと可哀想な気がするけどな、なんて思いながら、あたしは手に持った細く高く伸びたグラスを、彼女のそれと打ち合わせた。彼女が少しあごを持ち上げるように優雅に飲み干すのを見ながら、グラスの縁に唇をつける。ちょっとだけ泡立った淡いグリーンの液体は、なんだか今まで飲んだことのないような不思議な味と甘さで。
「おいしいー」
「ここのオリジナルカクテルよ」
 笑みを含んだ目に促されるままそれを飲み干した。空になったグラスをあたしの手から取り上げると、葵さんは自分のと一緒に小さな丸テーブルに置いた。そのまま流れるような仕草で手を伸ばして壁際の分厚いカーテンを開ける。ここは地下だから、その向こうにあったのは窓越しの夜空ってわけじゃなくて、それはいいんだけど、でも。
「――や、やだあっ! あ、あうっ、く、ううっ」
 いきなり飛び込んできた、甘く湿った声にびくっとする。何が起こったのかと確かめるまでもなく、窓の向こうの赤いライトに照らし出されていた光景は。
「いや、だめ、ああんっ」
 広いというほどでもないくらいのホール。半円形になった後ろの壁には小窓が並んでて、そこはここと同じような個室になってるみたい。全体的に暗くて、二人がけのソファが並んでいるのが見える。この部屋は二階くらいの位置でホールを少し見おろすようになってるから、半分くらいの席が埋まっているのが頭の影でわかった。
 でも、最初に目に入ったのはそんなことじゃなくて。
 真正面にあるホールの中央に、背後をカーテンのような布で飾った半円形の空間があって、天井から下がってきた鎖で両手を吊られたスレンダーな美少女がいた。身に付けているのは手錠と首輪だけで、その周囲には全裸よりもいやらしいようなスケスケのランジェリーを着た女の人が三人。ひとりが横に立ってちょっとふくらみの足りない胸を揉みながら首すじにキスして、ひとりが後ろから抱きつくように手を回してあそこを指で広げて、もう片方の手でクリトリスをイジって、残りのひとりが足元に座って脚に抱きつきながら、あそこに指を挿れていた。足元には細切れの布がいくつか落ちてて、目を凝らすまでもなく、それが切り刻まれた下着だってことがわかる。
「いやっ! あ、あっ、ああっ! 気持ちいいようっ」
 六本の手に弄ばれている少女が背をそらして叫ぶ。スピーカから、激しい四人分の息遣いと、くちゅくちゅといやらしい音が聞こえてくる。
 ――こ、これは、なに?
 確かに、普通のというにはちょっと妖しかった気もするけど、お酒を飲む店はこういうもんかなって思うくらいの店構えだった筈なのに。
 この店、なんでこんなことしてるの? こういうこと、ホントにしていいの? 女同士だから大丈夫とかって関係ないよね。見つかったらヤバいんじゃないの? それとも、秘密のお店なの? こんな大通りに?
 そっと隣に目を向けてみると、葵さんは長い脚を優雅に組んで背中をクッションにもたれさせて舞台を見ていた。相変わらずのあでやかな笑みのままで、驚いた様子なんてどこにもない。あたしの視線に気付いたようにちらりとこっちを見て、キスするときのように唇を尖らせて笑った。悪戯っ子みたいな可愛い表情に、何も言えなくなる。
「あ、はあっ、も、もうイっちゃいそうっ」
 口の端からよだれを垂らしながら、のどの奥から声を振り絞るように女の子が叫ぶ。その声が生々しくホール全体に響いた。
 あの感覚ってわかる。直前って、息ができないくらいにくらくらして自分がどうなってるのかわからなくなって、でもすごくよくて。
「まだイっちゃだめよ」
 くすくす笑いと一緒に穏やかな声が聞こえる。
 三人のうちの誰かなんだろうけど、それが誰だかまではわからない。こういう言葉って、あたしもいつも言われてたけどみんなも言うんだなあ、なんてちょっとズレたことを一瞬だけ思う。それとも、こんな人に見せる用のショーみたいなことだから言うのかな? 普通は言わないものなのかな?
「あう、うっ。で、でも、イっちゃうよおっ」
 女の子は痙攣するように震えながら喘いでたけど、誰も聞いてないみたいにその手が止まらなかった。赤いライトに照らし出された空間は拷問を連想するような異様な雰囲気で、腰をくねらせながら三人からの攻めに耐える姿は可哀想なくらいで、でもだからそれが逆に……。
 やだ。
 なんかあたし、火照ってきちゃった。
 久し振りにお酒を飲んだりしたせいかな、それともやっぱり欲求不満なのかな。なんかこう、身体が熱くて息が苦しい。
 どうしよう。ユーキさんのお姉さんと一緒なのに、あたしがそんなことになってるってわかっちゃったら、どうしよう。こんな子なんだってバレちゃったら、どうしよう。
「気持ちいい、気持ちいいの! もうダメ、もっとっ! もっとおっ!」
 舞台上の女の子は、今にも崩れ落ちそうなほど脚をガクガクさせてる。でも天井からの鎖で両手を吊られてるから、そうはできないみたい。激しく抜き差しされる指を伝ってとろっと液が床に落ちるのが見えた。
「ああっ、もうダメっ。いや、イくっ!」
 びくっと女の子が跳ねる。ああ、イったんだなあってわかる。でも周囲の手が止まらないから戻れないみたいで、そのまま全身を震わせてイき続けてる。
「あああっ、ダメ、イく、またイくっ!」
 少女の嬌態に、暗く照明を落としたホール内の客席がざわめいた。影程度にくらいしか姿が見えないから断言できないけど、男の人も女の人もどっちもいるみたい。もしかしてここって、前にユーキさんが言ってたお金持ちの秘密クラブなのかな。
「ああ、もうダメぇ! ああ! あああっ、あ、あっ、ああああっ!!」
 叫び声がどんどん意味不明に、ケモノっぽくなってきてる。そう、あのときって狂っちゃいそうなカンジで、苦しいくらい気持ちよくておかしくなりそうで……。
「ふふふ。可愛い顔」
 耳元で聞こえた声にびくっと身体が震える。慌てて隣を見ると、驚くほど間近にきれいな目があった。ぬめるように光る紅い唇がなまめかしい。
「ちょ、え、ちょっと!」
 細い腕が腰にするりと抱きついてくる。背中に当たるやわらかな感触と耳に吹きかけられる楽しそうなくすくす笑いに、どう反応していいのかわからない。
「あ、葵さん、あ、あの、あたし」
「あなた、和真が好き?」
「ほえ?」
 状況から一瞬だけ想像した『いけないコト』とは全く違う言葉に、あたしは間抜けな声で訊き返してしまった。そんなあたしを見て、彼女はおかしそうに笑った。

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