花を召しませ -1

「さっき、俺のこと、見てたでしょ?」
 耳元に囁く声と、強い力。長い腕が背中からまるで蛇のように巻きついてくる。両手ごと抱きしめられて身動きすることもできない。
「え、ちょ、ちょっと。ええ?」
「ね。俺のこと、見てたんでしょ?」
 少しかすれたその声も、わたしを見おろす少年の面影が残った悪戯っぽい目も、そして優しく歪んだ口元も。
「ち、ちがうわよっ。あれは……あなたを見てたんじゃなくって!」
「嘘ばっか」
 厭味なくすくす笑いが耳をくすぐる。それと同時にぎゅっと抱きしめられて、一瞬息が詰まった。
「あなたは俺をずっと見てた。気付かないとでも思った?」
「放してっ、放してってば!」
「だって、俺もあなたを見てたもの」
 その言葉に思わず身体が止まる。それを見計らったように、彼の大きな手のひらがあごをつかんだ。軽く吹きかけられる吐息にかすかに混じるタバコのにおい。
「や、やだ……ダメ」
「うん、俺もダメ。もう我慢できない」
 笑みを含んだその声が、やわらかく唇に触れた。


 初めてここにきたのは、一ヶ月と少し前のことだった。割と派手に遊んでいる友人からの電話で、学生の頃から常連だった店の人が独立したから、お祝い替わりに顔を出してって頼まれたとかで、だから一緒に行かないかと誘われた。
 久し振りの夜遊びに少しドキドキしながら向かった先は、ダンスフロアがメインの、いわゆるクラブだった。実はクラブに行ったのはこのときが初めてで、音とカクテルライトの洪水にどうしていいかわからなくなって壁に張り付いていたわたしに話し掛けてくれたのが彼だった。
 長髪の茶髪、茶肌にピアス。派手な服と変に馴れ馴れしい口調と、身体中にくっついたアクセサリー。店員も客もそんな感じの人ばっかりの中で、彼は一人だけ異彩を放っていた。
 短めの黒髪、白い肌。真っ白のぴしっと糊の効いたシャツと、穏やかな口調。バーカウンター内で見せる、二十歳そこそこだとはとても思えない落ち着いた雰囲気と、どこか幼く見える笑顔のギャップが不思議な感じで。瓶を手に取る仕草がなんだかちょっとカッコよくて、カクテルを混ぜる指先がきれいで、タバコを咥えるときの伏せた目が少し憂いを含んでて、グラスを洗っているときの横顔がちょっとよくて、注文を受けたときの頷く笑顔がドキッと来る感じで。だから踊りはそれほど好きじゃないのに、二度、三度と通ったのかも。
 その彼が今、わたしの背後にいて、そしてわたしを抱きしめている。
 これはいったい……なにがどうなっているの?



 軽く重ねられたキスは一度唇を離すごとに、少しずつ少しずつ深くなる。いつのまにかわたしは、真正面から向かい合うように抱きしめられていた。
「ダメ、こんなとこで」
 唇が離れた瞬間に引き寄せた腕で彼の胸を押した。右手のひらに当たる固いものはタバコの箱だと思う。強く押すとやわらかく潰れて行く感じがする。
「こんなとこじゃなければいいの? 誘ったらついてきてくれる?」
 低く小さく押さえられた、楽しそうな笑い声。
「そりゃないよね。美雪さん堅いもんね。俺なんか相手してくんないでしょ」
「だからって、こんなとこで……」
 こんなところ。お店のトイレ。
 トイレと言っても、ドアを開ければ個室が五つ並んでいるフロアのトイレとは違って、こっちはちょっと広めの洗面台のついた完全個室タイプ。それでもバースペースはフロアに比べるとお客さんの数が段違いに少ないから、ニ室しかなくてもこっちのほうが空いている。ここの場所にトイレがあるのを知らない人もいるらしい。そりゃ、クラブなんて踊りに来るところだと思うから、お酒を飲みに来るところじゃないから、当たり前かもしれない。けれども抵抗の言葉には、楽しそうな低い笑い声だけが返ってきた。どうやら彼は、わたしの抗議なんて聞き入れるつもりはないらしい。
「美雪さん、前に店に来た日がいつだか覚えてる?」
「前、に……?」
 訊き返した瞬間にまたもや唇を奪われた。そのまま深く舌を差し込まれる。
 無理やりされてるのに、その相手が彼だと思うと抵抗できない。隙間から入り込んだ舌がぬるぬると歯の裏をなぞって、タバコのにおいのする苦い唾液を流し込んだ。
「どうせ覚えてないんでしょ。俺は覚えてるのに。ずっと待ってたのに」
 恨みがましい言葉が明るく囁かれる。そのまま耳たぶを軽く咥えられて身体がびくっと震えた。
「教えてあげる。答えは十二日前。ニ週間近くも俺がどんな気持ちだったのか、それも今から教えてあげる」
 言いながら彼はわたしの胸をさわった。全体をぎゅっとつかんで、そしてやわらかく揉んでくる。ブラの上からの手の動きにそれほどの刺激は感じないけれど、それでもさわられているという事実に頬に血が上ってくる。
「んーと、この辺、かな」
「や、やだ。ちょっと!」
 爪先で胸の先端をカリカリと引っかかれて、自分が反応していくのがわかる。ブラカップとこすれる、もどかしい感じがなんだか逆に……。
「ね。直接さわってもいい?」
「ダメに決まってるでしょ! お願いだから放して。こんなことやめて」
「ここで放せるくらいなら、最初からこんなことしてないと思わない?」
「そんなの知らないわよっ」
 それでもどんなに暴れても、優しく強く抱き寄せる腕の中から逃れられない。彼の指先がブラウスのボタンをつまんで、そして器用に外して行く。あいだから見える自分の肌に思わず顔をそむけた。
「美雪さん、顔赤いよ。恥ずかしい?」
「そんなの……」
 決まってるじゃない。
 その言葉を飲み込んだのは、違う声が出そうになったから。彼は背中を丸めるように身を屈めると、ブラと肌のギリギリの境に唇を押し当てて、そして強く吸い上げた。
「……あっ、くんっ」
 身体を走った鋭い痛みの直後、優しく舐められて、さっきと違う意味で身体が固まる。背に回った手が器用にブラウスをたくし上げて、そしてぱちりと金具を弾いた。緩んだ胸元にそのままするりと潜り込んで、そしてやわらかく肌にふれる。力の入れ加減を微妙に変えながら胸を揉まれると、自分が昂ぶってくるのがわかる。先端をきゅっとつままれて身体が震えた。
「乳首も勃ってきてるね。気持ちいい?」
「やだっ」
 身体とはうらはらに、否定の言葉を吐きながら首を横に振ると、彼は低く笑った。
「ね、声、出して。あんまり大声も困るけど、これじゃつまんないよ」
 そんなことを言いながら、彼は何度もキスを繰り返した。固く尖った乳首を軽くつまみながら手のひら全体で擦るように揉む。少しざらざらした親指の先が乳首にこすりつけられるたびに、身体がビクビクと震えてしまう。
「やっ! あ、んんっ……」
 弄ぶような指先と首へと吸い付いた彼のキスに、耐え切れない声が洩れた。
「そうそう、いい声。もっと聞かせて」
 くすくす笑いながら彼は再び顔を伏せた。ずれたブラの隙間から覗く、赤く自己主張した突起を口に含んで、舌でざらりと舐め上げる。
「やだ……ん、ん……んんっ……あ、んっ」
 背中を這う指の動きと軽く吸い上げる舌に、理性を全てを絡め取られそうになる。ううん、盗られそうに……なる。
「あ、やっ! ダメ、いやっ」
 それでも身をよじるよりも先に、悪戯な手はスカートの中に潜り込んだ。
「やっぱり、ナマ脚だった。すべすべだね」
「や、やめっ」
 少しひんやりとした手のひらが、触れるか触れないかのギリギリラインを保ったまま、ふとももの内側へと巧みに滑って行く。それだけでうなじの産毛がちりちりと立ち上がるのがわかる。それは不快では決してないけれど。
「さあてと。そろそろ……」
 さわさわと太ももを撫で回していた手が、ふいにショーツに当たった。いくら何でも、軽くこすりつけられるその部分がどこなのか、彼がどこに触れようとしているのかくらいはわかる。
「やだ、やめて」
 恥ずかしさに腰を引こうとしたけれど、彼がそれを許してくれるわけはなかった。
 布越しの指がピンポイントでそこを攻める。そうされれば自分がどうなって行くのかもわかる。身体の奥でじわりと発生した熱が形を成して行くのもわかる。
 こんなところでこんなことされてるのに、襲われてるのに、どうして? やっぱり、相手が彼だから……?
「やっ。だめ、やめ……っ」
 慌ててショーツの上を這い回っている彼の手を抑えた。引き剥がそうとしてもできないとは思うけれど、それでも彼の好きにさせるわけにはいかない。このままだと本当に……わたし自身が、停まれなく……なる……。
「あっ。あ……あっ」
 彼の指先がこりっと当たった感触に身体が震えた。一瞬の強い快感に耐え切れず、のどをそらすように喘いでしまう。とろりと出てくるのが自分でもわかる。
 どうしよう、気持ちいい。
「うわ、やば。すげー興奮する……」
 うめくようにそう呟くと、彼はその手で逆にわたしの手をつかみ返した。洗面台に押し付けるように体重を掛けるように圧し掛かられた。男性にしては細めの指が素早くあごにかかる。覆い被さるようにキスをされた。呼吸を制限されたまま指先に攻められて、息が苦しい。
「ん、んんんんっ!」
 ひざがガクガクと揺れるのがわかる。自力で立っていられなくて、さっきまで拒絶していた筈の手で彼の服をつかんだ。握りしめた布地の奥にかすかな体温を感じながら、すがりつくように身体をすり寄せる。唇の隙間からぬるぬると入り込んできた舌も受け入れてしまう。
「美雪さん……。直接、さわるよ」
 離れた唇がすぐ目の前でかすかに動いて、その声が聞こえた。答える暇もなくショーツの中に手が入って、そして。
「あっ……、ああっ!」
 いやらしい水音と一緒に彼の指が蠢いた。
「やっ! ひ、いっ、あああっ! や。やめっ……!!」
 痛みにも似た鋭い快感は感電したのだと思った。今まで感じたこともない感覚に身体が跳ねる。声にさえならない。視界がぐにゃりと歪んで、そして白く弾けた。

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