花を召しませ -5

 さっきの電話、誰からだったのかな。
 考えないようにいくら努力しても思考はそこへ行ってしまう。
 独り暮らしのアパートは勿論、実家のお風呂場よりも随分と広い洗い場で、洗面器に溜めたお湯を手のひらのメイク落としと混ぜて必要以上に丁寧に泡立てながら、思わず溜息をついた。
 この状況のわたしよりも、急に掛かってきた電話相手を彼は選んだ。そっちへ行こうとしている。相手は女の人だろうか。どういう関係だろう。考えていると際限なく落ち込みそうだった。
「わたし、バカみたい……?」
 壁に張り付いた鏡に問い掛ける。
 ひとりで浮かれて喜んで、誘われるままに簡単に許してしまうなんて、こんなところへ来ちゃうなんて、バカみたい?
 今にも泣きそうな顔がじっと見返してくるのに嫌気が差して、できあがった泡に顔に突っ込んだ。いつものように目元から馴染ませていると、じわりと浮いた涙がまだ洗っている途中なのに、勝手に泡を落とそうとする。乱暴に顔全体を洗い、手探りで洗面器を探して引き寄せた。お湯を叩きつけるように顔をじゃぶじゃぶと洗って、眼を閉じたまま顔を上げる。
「シズくんのばかーっ! きらいーっ!」
「――ごめん」
「えっ? わ、わわーっ」
 思いっきり叫んだ言葉に声が返ってきたという事実に驚いて振り向こうとして、椅子からずり落ちてしりもちをついた。その瞬間、急激な痛みが襲った。
「痛っ!」
 まだ流されずに残っていた泡が目に入ったらしい。沁みるような痛みに顔が歪む。目が開けられない。
「だ、大丈夫?」
「違う、そっちじゃなくって目が痛いのっ。シャワー出して!」
「あ、はい。――美雪さん、こっち向いて、顔上げて」
 お尻から手が離れて一呼吸、ぬるめのお湯が顔を流れた。酸素が足りなくなった魚のようにぱくぱくと口を開けて息をする。
「お湯の量減らすから、薄目開けてみて」
 言われるがままにちょっとずつ目を開けているうちに、なんとなく痛みが減ってきた。ゆっくりと両目を開けて、パチパチとまばたきをする。どこかでまだヒリヒリと痛みの感覚が残っているような気もするけれど、我慢ができないほどでもない。
「もう大丈夫」
 顔をそむけるようにお湯を避けてそう告げると、彼は軽い溜息をついた。
「よかった。びっくりした」
「ん、ごめんね」
 ふうっと大きく息を吐いて手のひらで顔をぬぐって、そして目を上げる。目の前の素肌に慌てて視線をそらした。
「な、なんで裸なのよっ」
「風呂に服着て入るほうが変でしょ?」
「そういうこと言ってんじゃないの! だいたい、いつのまに入ってきたのよっ」
「いや、さっき。いきなり『きらい』とか言われるしさ。傷ついたよ」
 悪びれもせず言いながら、彼はわたしを引き寄せた。思っていたよりも広い胸に抱きこまれて身動きが取れなくなる。直接触れる肌に動悸が高まる。
「だ、だって……」
「うん、わかってる。ごめん」
 彼の身体は、その細身な外見に似合わず、意外なほどたくましかった。肩から胸への、薄く浮いた鎖骨の影が驚くほどに男っぽい。多分、男の人の色気ってこういうのを言うんだと思う。
「わたしのことより、その誰かのところへ行かないといけないんじゃないの? 急がなくていいの?」
 わざと意地悪にそう言うと、彼は軽い溜息をついた。
「あー。やっぱ、そういう目で見てたんだ」
 力を少し緩めながらも腕を外さないまま、彼はさっきまでわたしが座っていたお風呂用のプラスティックの椅子に座った。その行動に引きずられるように、彼のひざに後ろ向きに座らされる。
「そう言う目って……だって、そうとしか思えないでしょ?」
「うーん。まあ、そうなんだけどさ。ちょっと違うんだって」
 よくわからない言葉を呟くように言いながら、彼の右手が放れた。追求しようとしたけれど、目の前に現われたシャワーに流されてしまう。
「んっ……」
 肌にかかる、少し熱めのお湯に息がこぼれた。
「気持ちいい?」
「うん」
 彼の手が撫ぜるように肩からウェストへと回った。左手に持ったシャワーで胸からお腹を流しながら、もう片方の手がどこかいやらしい動きで、お湯の後を追うように肌を這い回る。胸を隠すように背を丸めて大きな手のひらから逃げると、彼は声を立てて笑った。吐きかけられる息にどきどきする。
「それより! さっきの、違うって、何が?」
「美雪さんが思うような相手じゃないってこと。相手はおばさん」
 おばさんって、伯母? 叔母?
 どっちでもいいけど、でもどうして?
 わたしの気持ちを読み取ったように、彼はくすっと笑った。
「諸事情あって、仕事手伝ってんの。彼女、結婚してないから、男手が要るときは俺を呼び出すワケ。今回もね、パーティがあるから来いって言われたの」
「パーティ?」
 どんな仕事よとも、思ったけど。
「そう。だから、変なこと考えないでね。俺、今は美雪さんだけなんだから」
 言いながら、彼はわたしの背中にキスをした。
「あ……っ」
 背骨に沿うようにてろてろ舐め上げられるとゾクゾクする。
「俺だって、もっと美雪さんと一緒に居たいの。できれば一日中べったり」
 言いながら彼はシャワーヘッドを遠ざけた。きゅっと音がしてお湯が止まる。次いで、胸に少しひんやりとした液体が塗られた。
「やっ、なに?」
「洗ってあげるから、じっとしてて」
 明るい声でそう言うけれど。
 彼は、指の付け根をこすりつけるようにしながら、胸全体を手のひらに包み込んでゆっくりと揉み込んだ。じきにその頂点がボディシャンプーの泡を透かして赤くぷくりと腫れてくる。指のあいだにはさんできゅっとねじるように引っ張られると息が止まった。
「ちょっと、やだ、シズくんっ」
 身体の奥で燻っている残り火を少しずつ熾すような指の動きに、思わず身体をくねらせてしまう。
「身体、洗ってるだけだって」
「そんなの、うそ……、ん……っ」
「どしたの? 感じてきちゃった?」
 クスクスと彼は笑うけど、でも間違いなく確信犯。
「だめだって。パーティ行くんでしょ。遅れちゃうよ」
 背後に視線を流して楽しそうな顔を睨み付けると、彼は目を細めた。
「大丈夫、もう少し時間あるから。美雪さんをきれいに洗ってからでも充分間に合う」
「あ、やっ!」
 するりと脚のあいだに入り込んだ手がそこを丁寧になぞった。
「ほら、こんなになっちゃって。きれいにしないとね」
 明らかにボディシャンプーとは違うぬめりが、にゅちゅっと妙に生々しい音を立てた。その現象が指している事実に身がすくむ。
「どう? 気持ちいい?」
「あっ……、あっ、や、だ……、ん……っ!」
「シャワーなら気持ちいいのに、なんで俺の指なら『イヤ』なのよ」
 溜息混じりに、けれど彼は容赦なくその指を突き立てた。
「あっ、あああっ!」
 入り込んでくる衝撃に思わず背をそらした。指が周囲の壁を掻き回すようにゆっくりと動く。ぐちゅぐちゅと、いやらしく湿った音を立てて出し入れされて、身体がビクンと跳ねた。
「あっ……や、ぁっ……」
「美雪さんの中、とろとろだよ。俺の指を締めつけてる……」
 囁く声が耳をてろりと舐めた。首すじをちゅっときつく吸い上げられて、思わず目を瞑った。泡と混じったぬめりがこすりつけられる度に身体が震える。
「あ、んっ……、あ、あぁ……っ!」
「さっき、電話がかかってきてよかったよ。勢いだけで襲っちゃいそうだったから」
 耳の中に侵入してきた舌が、ざわりと音を直接流し込んだ。
「それは美雪さんをもっとイかせてあげてからじゃないとね。セックスは怖くないって、気持ちいいことなんだって、いっぱい教えてあげるよ」
「それって、どういう……や、あぁっ! く、うっ」
 一度抜けた指が本数を増やして再び入り込んでくる。異物感は変わらずあったけれど、このあいだのような苦痛とは程遠いものだった。
「まだ痛い? 我慢できる?」
 尋ねられて頷くと、彼は嬉しそうに笑った。
「思ったより早く和らいだね。飲み込みのいい身体だなぁ」
「飲み込み、って、なに……、あ、んんっ」
 胸をつかんでいた手が赤く腫れ上がった乳首を軽くつまんだ。きゅっきゅっと強弱をつける指先に腰が震える。
「慣れるのが早いんだなって。どんどんえっちな身体になってくれるかな」
「そ、そんなこと……あっ、ん、んんっ、やぁっ……!」
 わたしの中に入り込んだ二本の指が交互に動いて壁をこすった。半回転するようにぐるりとねじり込まれて思わず腰を浮かせると、覆い被さるように抱き込まれた。
「美雪さんの身体、すべすべで気持ちいい」
 お尻の辺りに彼のものが当たるのがわかる。彼は腰を押し付けるようにわたしを抱き寄せると、軽く身体を揺さぶった。その動きに合わせて彼の指がわたしの中を上下する。
「シズ、くん……! あ、んっ、んんんっ」
 あごに手がかかって、顔をねじるように上を向かされた。彼の唇がわたしを塞ぐ。そのあいだも指の動きが静まることはなく、じゅぶじゅぶと卑猥な音を立てながら優しく激しく掻き回し続ける。
「んっ! んんーっ!」
 快感と酸欠で身悶えた。歯を割ってぬるりと入り込んだ舌に口内を犯されて、唾液を流し込まれて、なぜか胸が熱くなる。
 いや、『なぜか』じゃない。疑問なんて入り込む余地はない。
 わたしは彼にこう扱われることが嬉しいのだと、初めてのあのときからずっとそう思っていたのだと、望んでいたのだと、今なら素直にわかる。
「ん……っ!」
 この次に何がくるのかはもうわかっていた。自分が破裂するような、何にも喩えることのできない感覚。
「あっ、あ、ああ……っ!」
 腰がガクガクと震える。胸をそらし腰を彼の指に擦り付け、その瞬間を待ち望む。
「美雪さん、イく? もうイく?」
「あっ、も、もう……っ!」
「いいよ、イっても」
 一気に早まった指が立てるいやらしい音に意識が駆け上った。強くつむった眼の裏の、暗い緑が白く染まる。バチバチと弾ける花火が視界全部を埋め尽くして行く。
「さあ、俺の前で思いっきりイって見せて」
 いやらしい言葉が、脳から胸を腰を、そしてもっと敏感な部分を痺れさせた。
「あ、んんっ! い……ああ……っ!」
 どうなっているのかもわからないまま、彼の指が与えてくれる卑猥な快感に、わたしは身体を硬直させた。

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