花を召しませ -7

「あのさ、美雪って、シズと付き合ってんの?」
 グロスのふたをぱちりと閉めると彼女は鏡越しにわたしを見た。そのまなざしはとても意味深で、でも心配そうで、好奇心だけの言葉ではないとわかるけれど。
「え、なんでそんなこと?」
 わたしたちが付き合っているのかどうかは、実はわたしにもよくわかっていない。
 今まで会ったのは数えるほどで、しかもいつも待ち合わせてホテル直行だった。実際の行為が途中で止まっていることさえ除けば、扱いは彼女というよりセックスフレンドに近いのではないかと思うこともある。
 それでも彼はわたしが好きだと言ってくれていて、わたしも彼が好きで、だから彼に身体を弄ばれることにも不満はなかった。始めは驚きと羞恥だけだったことも、繰り返されるうちに慣れてきて、今では彼の手や唇に与えられる卑猥な快楽に狂うことが生活の一環になってしまっている。そして、いつかは訪れるであろう、彼を受け入れる苦痛のときを望んですらいる。
「こないだシズが、オーナーになんかそんなようなこと言ってたんだって。それってどうなのかなって思ってさっき見てたんだけど……やっぱそうなの?」
 彼が言っていたのならば肯定してもいいだろうか。けれどもなんとなくそれはためらわれて、わたしは黙って俯いた。彼女はわたしの態度から、だいたいのところを見分けたらしい。『ありゃ、ビンゴか』と独り言のように言うと、ふうっと深い溜息をついた。
「あ、誤解しないでよ。別に邪魔してやろうとかじゃないの。ただ、その……」
 綺麗に塗り終えたばかりの唇を尖らせながら彼女はゆっくりと振り返った。洗面台に腰をもたれさせながら、ハーフパンツのポケットに使い終わった口紅とグロスを入れる。
「シズってさぁ、ちょっとその……ヘンな噂とかあるのよね」
 変な噂?
 口紅と入れ替わりに取り出したタバコに火を点けると、有理は少し言い難そうな顔をした。
「年上の女――って言ってもあたしや美雪くらいとかじゃなくって、十や十五は年上の女と腕組んで歩いてたとか、いかにもって派手な化粧をした若い女を車に乗せてたとか。あと、深夜に高級マンションから出てくるのを見たとか」
 年上の人というのは、彼が仕事を手伝っているって人のことじゃないのかとも思ったけど。でも、腕を組んで? それに、若い女?
「あたし、オーナーと親しいから、ちょっと……そっちからも話を聞いたことあるんだけどさ。シズって、いろいろ複雑らしいよ」
 ふうっと大きく煙を吐き出すと、有理は頬に落ちてきた髪を耳に掛けた。ほんの少しだけ水を溜めた洗面ボールの上で軽くタバコを弾いて灰を落とす。灰色と黒の中間色のタバコの灰が水面を汚した。
「なんか、お母さんが自殺したとか、そんでお父さんと絶縁状態で家を出たとか。それであんまりその……よくない店で働いてたから、それを心配してオーナーが引っ張ってきたんだって。店での女関係もかなり派手だったらしいよ」
 今まで全くと言っていいほど知らなかった彼の過去を、自分の友人に教えられるという状況に、どう応えればいいのかわからない。知らなかったと、正直に言うべきなのか。知っていたと強がればいいのか。それでも彼女ならば簡単にわたしの嘘を見破るだろう。
「対して美雪はその……あれじゃん。あたしと違って、今もそうだけど学生の頃から真面目だし。だからその……ちょっと難しい相手というか……。それでも美雪がいいってんなら、いいと思うんだけどさ」
 人間は誰しもいろんな事情を抱えているとは思う。それに今の話も、別に有理やオーナーを信用しないというわけではないけれど、どこまでが本当でどこからが嘘なのもわからない。わたしといるときの彼は――確かに少し疑問を感じる部分もあるけれど、でもとても優しい人だから。
「ま、そういうことで。だからダメとか、やめといたほうがいいよ、じゃなくって。もしも知らなかったのなら、そういう事情がある人だって知っといたほうがいいかなあって。――お節介なのかもしれないけど、それだけね」
 曖昧に言葉を濁すのは多分、わたしに対する気遣いなのだろう。だから。
「教えてくれてありがと、有理」
 わたしに言える言葉はそれだけだった。





「舌をすりつけるようにして、もっと強く……。そう、上手に……なってきた……」
 切なそうに漏らされた吐息にそっと目を上げると、やや弱めに調光された灯りに淡く照らし出されている彼の視線がわたしに向けられているのがわかった。まなざしに浮かんでいる淫猥な色を強く意識しながら、ゆっくりと舐め上げる。ちゅっと音を立てて吸い付くと、舌先に苦味を感じた。彼が息を詰める気配に、身体が熱くなる。
「そろそろいいよ。咥えて」
 彼の言葉に、歯を当てないように気をつけながらゆっくりと飲み込んだ。上あごの内側に、先端をこすりつけるように入り込んでくる感触に軽い吐き気がしたけれど、彼が低くうめくような声を出してくれたから我慢できる。
「先を舐めながら、段になってるところを唇で締めてこすって」
 上目遣いで頷いて、言われるままに舌を這わせた。同時にひざ立ちした彼が軽く身体を揺らして、わたしの口の中を動いた。
「あー、やば。興奮しすぎて倒れそう」
 荒い息でそう呟くと、腰を落とすように身をかがめながら彼は指を伸ばしてきた。すくい上げるように胸をつかんで、そしてゆっくりと指先で揉む。さっきまで散々に弄ばれていた乳首はまだ赤く腫れ上がっていて、彼の指は簡単に名残のように残っていた快感を熾し直してくれる。軽く指先でつままれると身体が震える。
「ん……っ」
 彼のものに口を塞がれながら思わずうめくと、悪戯な手は下がってきた。ふとももの内側から脚の付け根にかけてをゆっくり撫で上げて、わたしが一番感じるところに指先を触れさせようとする。
「だめ、シズくん。できなく……なっちゃう……」
 けれど気持ちとはうらはらに、身体は貪欲に彼の指を受け入れてしまう。くちゅくちゅと音を立てて触られると、その部分がびくっと震える。
「ん、じゃあ口に含むだけでいいから。咥えるだけ咥えてて」
 それだけならできなくはないけれど。
「そんなことでいいの?」
「うん。美雪さんが俺のチンポしゃぶってくれてるだけで感じるから」
 言われて、思わず目の前の彼のものから逃げるように顔を伏せてしまう。勿論そういう固有名詞は知っているけれど、言われるとどうしようもなく恥ずかしい。
「ね、咥えて」
 そんなわたしの態度に焦れたように彼はぐいと腰を突き出してきた。
 どちらかと言うと色白な彼のその部分が、まるで怒っているかのように血管を浮き立たせて赤黒く屹立している様子は、少し怖い。なるべく見ないようにしながら手を添えてそっと唇を当てる。ごつごつした固い手触りとは真逆に、先端はつるりと丸くてやわらかい。舌先で強く押すと、押したところがわずかにへこんで形を変える。
 セックスの際に女に不必要な負担をかけないようにと、そう言うことなのだろうか。男はみんな、こうなっているのだろうか。そう考えているのだろうか。そう思うと不思議な気もした。
 こんなに、優しい人なのに。
『――十や十五は年上の女と腕組んで歩いてたとか、いかにもって派手な化粧をした若い女を車に乗せてたとか――』
 ふとした拍子に頭の中に戻ってくる、有理の言葉。
 本当のことを知りたいけれど、でも尋ねることもできなくて、結局わたしと彼との関係は以前のまま続いていた。と言ってもあれから一週間。二度逢っただけだった。そして、それが当たり前であるかのように車はホテルに直行する。これはデートというのだろうか?
「……んっ! んんっ!」
 じゅぷっと生々しい音を立てて入り込んできた指に身体が反応して、思考は途切れてしまった。
 人間の身体の中に快感を得るための器官が存在することも、辱めが快楽を伴うことも、素肌に触れられることが気持ちいいことも、おかしなことだと思う。彼の行為に対抗するように舌を絡めて強く吸うと、更に指がわたしを攻めた。リズミカルに出し入れを繰り返しながら、快感の源でもある小さな肉芽の上で円を描くようにこねられて、耐え切れなくなる。彼のものを吐き出して、背に走る快感に身体を震わせた。
「や、あ、くぅ! あ……だめ……だめっ!」
 その瞬間に押し倒されるように体勢は入れ替わって、わたしの上に覆い被さる彼が目を細めるように笑っていた。乱暴に指先で弄ばれて、強制的に高められて行く。
「シズくん、わたし……あ、んっ!」
 それでもなんとか彼のものから手を離さずにはいたけれど、すでにわたしの腕は――いや、わたしの身体は、わたしの自由ではなかった。力の入らない手で必死で握りしめて動かして、ぬるぬるとした液体を塗り込めるように指をこすりつける。この程度の刺激では物足りないのではと思うけれど、彼はそれ以上は要求してこない。むしろ、わたしが快楽に狂う姿を彼は求めているようだった。まるで、わたしが彼の前で恥ずかしい姿を晒すことが、彼の喜びであるかのように。
「ん、いいよ。いっぱい感じて。何回もイって」
「や、あ……っ、ああぁっ!」
 わたしは彼にとって、どういう立場の女なんだろう。
 未だこの身は男性を受け入れたことはないながらも、わたしはすでに卑猥な快楽の味を覚えてしまっている。全ては彼に教え込まれたものだった。いつかは彼によってその上の段階を経験するだろうとは思うけれど、それがいつになるのかわからない。今日、これから行われるのか。この次に逢ったときなのか。それとも……?
「やぁっ、ひ、ああぁっ!」
 胸元に吐きかけられた熱い吐息と同時に、ぬるりと円を描くようにしながら赤く腫れ上がった乳首を咥えられて思わず叫んだ。舌の上で転がすように優しく吸い上げ、そして軽く噛む。一瞬の痛みが引き金になってしまう。
「あ、あああーーっ!」
 びくびくと全身を痙攣させてのどをそらせて、わたしは絶叫した。痛みを伴った強い快感に、白い花火が脳裏で何度も弾ける。それでも彼の指と唇の攻撃は止まらなかった。
「やぁっ、も、あぁ……っ!」
 彼を押し返そうとするように身体が勝手に跳ねる。彼は体重をかけるようにしてわたしを抑え込みながら、力なく絡めていただけのわたしの手の中からそれを抜き取った。
「美雪さん」
 囁くように言いながら彼が体勢を低くして覆い被さってくる。一瞬されるのかとも思ったけれど、彼のものはわたしのその部分に擦り付けるだけで、それ以上の侵入はしてこなかった。
「あー、すげー気持ちいい」
 上半身を斜めの位置で固定したまま、腰を突き出すようにこすりつけてくる。彼のものかわたしのものか、擦り合わされる度にくちゅくちゅとひどく卑猥な水音が鳴る。ぬるりと触れた感触に身体がひくんと震えた。
「美雪さんのクリももうこんなに勃起しちゃって……コリコリ当たるよ」
 熱く乱れた息を吐きかけながら、そんなことを言う。大きく脚を開かされて彼に圧し掛かられた恥ずかしい体勢で、わたしは身悶えするだけだった。
「あ、ん、やっ……あ……はぁ、あっ」
 彼が動くたびに耐え切れない声が洩れてしまう。直接当たっている箇所から伝わる熱がわたしを溶かして行くような気がする。ぬるぬると触れるやわらかな感触は、彼の舌に攻められているときに少し似ているけれど、どこかもどかしくて、それがなぜか心の奥底でずっとわだかまり続けている思いを妖しく掻き立てる。もっと彼が欲しくて、どうしようもない。
「やだ、シズくん……もう、お願い……」
「どうしたの、美雪さん」
 荒い息を吐きながら、それでも彼は優しい笑みを浮かべた。
「わたし、もう、もう……」
「ん、またイきたい?」
「ちがうの……。そうじゃ、なくて」
 その言葉がどういうことなのか、どういう意味を持つのか。しかも女から言い出すなんてと思うけれど。
 ――それでも。
「お願い。わたしに……シズくんを、ちょうだい」
 その瞬間、彼の笑顔が固まった。
「美雪……さん?」
「お願い、もうダメ。もうこんな……」
 言いながら、わたしはゆっくり手を伸ばした。ぬるりと触れる熱いかたまり。輪郭をなぞるようにそっと指先を這わせると、彼は低く息を漏らした。同時にびくりとそれが震える。
「欲しいの、シズくんが。だから……」
「それ、意味わかって言ってるの?」
 眉をひそめる彼のまなざしに耐えられず、頷く振りで眼をそらした。
 わたしの思いと彼の思いは、違うのだろうか。彼も同じようにわたしを欲しいと、そう思ってくれてはいないのだろうか。それとも、思ってくれているのだろうか。もしも彼の思いがわたしと同じだとしたら。
「いいの、美雪さん。俺で、本当にいいの?」
 彼の唇がゆっくりと降りてきた。軽い、唇が当たるだけのキスは彼の戸惑いを表わしているようで、言い出したこと自体を後悔してしまいそうになったけれど。
「初めてが俺なんかで……いいの?」
「うん。シズくんがいい」
 彼の首に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。彼の手がシーツと身体のあいだにするりと入り込んできて、抱きしめ返してくれる。彼のものがお腹に押し当てられるように触れた。熱くて固くて、そしてぬるぬるする。その感触がなんだかとても恥ずかしい。
「でも俺、美雪さんに黙ってることが……」
「それでも、いいから」
 言いよどむ彼の言葉を遮るのは、難しいことではなかった。
 彼の言っているのは、おそらく有理の教えてくれた年上の女の人のことだと思う。仕事の手伝いをしているだけだと説明されても納得できなかったこと。彼が言葉で説明してくれても、二人がそれ以上の関係なのだとそれをわたしには知られないようにしているのだと、彼の仕草や表情が何よりも雄弁に語っていたのだから。
 でも。それでも。
「わたし、それでも好きなの。シズくんが好きなの」

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