花を召しませ番外編
White HESH -3

「ホントにイっちゃったね、あんなとこで。どう? そんなによかった?」
 楽しげに笑いながら、彼は薄い布の隙間から顔を出した左の乳首をピンと指先で弾いた。反射的にびくりと震えたわたしに目を細めるとゆっくりと手を放す。後ろ向きで大きく一歩離れ、歪んだ笑みを湛えたまま器用に片手でシャツのボタンを外し始める。
「やっぱ美雪さんってその気があるのかなぁ。もっと工夫してあげないとダメだね。ワンパターンだと飽きられちゃうもんね」
 呟きながら彼はベルトを抜き取り、足元にぽいと投げた。次いでスラックスのホックを手早く外し、ジッパーを下げる。落ち着いた黒のあいだから派手な色遣いの下着が覗く。そこはいつもの通り大きく盛り上がっていた。思わずそこに目を留めてしまう。そんな自分が恥ずかしくて慌てて目を伏せる。
 けれど運良く、彼はそんなわたしに気付かなかったようだった。冷静な仕草で服を脱ぎ捨てながら、ベッドに座らされたわたしの頭からつま先までを見つめる。その舐めるような視線の意味するところに身が縮む思いがする。
「まぁそれは次回のお楽しみってことで。今日はこんな感じで。いいよね?」
 楽しそうな笑顔に、せめてもと何度も首を横に振り否定的な意思表示をしてはみたけれど、彼はそんなわたしの行動さえも嬉しそうに嘲笑った。
「イヤだって言いたいの? でもさっきもすっげー気持ちよさそうな顔でイってたよ、美雪さん。ホントはこういうの好きなんじゃないの?」
 脱いだ衣服をまとめてソファに放り投げると、彼は下着一枚で振り返った。男を誘うきわどい仕草をした女性の姿がアメリカンコミックス風にプリントされた布地は、はちきれんばかりに張っていた。女性の大きく開いた脚のあいだに当たる部分が膨張し奇妙な形に歪んでいる。反射的にそこを凝視したわたしに彼が肩を震わせて笑う。
「なんだ、さっきあんなにイったのにもう欲しいの? 欲張りだなぁ、美雪さんは」
 言いながら見せつけるように指先でそこを撫で、腰を振る。眉をひそめるほどに卑猥な動きも、均整の取れた身体の彼だとダンスのように思える。わかっていても惹き寄せられてしまう。これほどまでにひどい仕打ちをされながらうっとりと見とれている自分は救いがたいほどに愚かだろう。恋は盲目とはよく言ったものだと我ながら呆れてしまう。
「どうしよっかなー。フツーにするのもつまんないよね」
 言いながらにやりと笑う彼に、この状況は十二分に普通ではないと、叫べるものなら叫びたい。


 廊下での耐えがたいほどの快感で気を失ったのはほんの数秒のことだったと思う。力の抜けたわたしの身体を軽く担ぎ上げると、彼は一つのドアをくぐった。パンプスだけを玄関で落とし、そのまま乱暴にベッドへ放り投げた。やけに弾むスプリングに顔をしかめながら目を開けた視界の端から白いシャツの腕がにゅっと伸びてくる。繊細な指が鷲づかみで赤い何かを握っている。それが何であるかを教えてくれたのは、目ではなく触覚――つまり、身体だった。
「や、ちょ、ちょっとっ!」
 背中の中ほどで合わされた手首にやわらかな紐が絡む。抵抗する暇もなくそれは上半身をくるりと巻いた。次いでひざを大きく開かされ、そこにも紐が巻きつけられる。何がどうなっているのかもわからないうちに身体の自由のほとんどを奪われてしまう。
「よし、これでよし」
「ちょっとシズくん! これほどいてっ」
 何がいいものかと、潰れたカエルのようなみっともない格好でシーツにうつ伏せたまま、頭だけを上げて彼を睨みつけた。今までの経験上、この手の願いが彼に聞き届けられたことは一度もなかったけれど、それでも叫ばずにはいられない。
「ダーメ。せっかくキレイにしたのに、ここでほどくなんてもったいないでしょ」
 予想通り、彼はあっけなく首を横に振った。わがままな子どもをたしなめるような口調で顔をしかめ、けれどその一瞬後には明るい笑顔を見せる。そんな場合ではないのに、その爽やかな表情に見とれてしまう。
「よっこいしょ、っと」
 長い腕を伸ばしてわたしを抱き起こし、ベッドボードの前に並べたクッションに半ば寝そべるような姿勢で座らせる。荷物のように置かれた視線の先には、壁に埋め込まれた大きな鏡があった。そこに映った自分の姿に身の毛がよだつ。
「やだ! やだやだやだぁっ」
 ワンピースがウェストまで落ち、キャミソールとブラは何の役割も果たしていない上半身と、スカートがめくり上げられて下着を完全に露出した上にがに股で全開、しかもショーツの中央がピンクの卑猥な機械で小さく丸く盛り上がっていると言う、みっともなさの極限のようなわたしがいた。リボンのような赤い紐が両ひざからふとももへ巻きつきながら腰と胸を一周ずつし、その先は手首に続いている。大きく開かされた脚はどれほど閉じようと努力しても、手首が不自然な方向へ引っ張られて痛みを生むだけだった。
「あ、ダメだよ。多少は遊び作って緩く縛ってるけど、そんな風にムリに暴れると怪我するから。おとなしくしてて」
「やだ! やだったらやだ! 早くほどいて! 早くっ!」
 半泣きの悲鳴を上げながらわたしは首をぶんぶんと勢いよく強く振った。
 落ち着いた声の彼をこのときほど憎いと思ったことはなかった。あちこちから肌が隙間見える乱れた格好だとは言え、服の上から縛られているのがわずかながらも唯一の慰めだった。けれども物には限度がある。これはそれを大きく超えている。拒絶してもいいはずだ。そんな至極真っ当なわたしの主張に、彼は拗ねた子どものようにむうっと唇を尖らせた。
「わかったよ、もう。うるさいなー」
 不服そうに言いながらしゃがみこむと彼はわたしからは見えないベッド脇をゴソゴソと探り始めた。何かを選んでいる気配がする。わかったという彼の言葉に少しはホッとしたけれど、今までの経験を思い出せば願いが聞き入れられるとはとても思えない。だとすれば彼は今何をしているのだろうか。
「俺、美雪さんの声好きなんだけどなぁ」
 溜息混じりに言いながら、彼はゆっくり立ち上がった。その表情を確かめるよりも先に彼の手を見た。その手の中に握られているものを見ようとした。けれども肝心の右腕を彼は背中に隠していた。それでもすうっと背後に伸びた白いシャツの先を食い入るように見つめてしまう。
 彼は何を持っているのか。何を選んでいたのか。知らない。知りたくはない。知りたくはない、けれど。
「美雪さんの喘ぎ声は最高なのになぁ、惜しいよなぁ」
 ふうっと深い溜息をついて、けれどくすっと彼は笑った。
 でもまあ、仕方ないっか。
 楽しげにのどの奥で低く笑いながら彼はくいとわたしのあごをつかんだ。
「や、やだぁっ!」
 この状況でおとなしくキスを受け入れるほどにわたしは間抜けでも従順でもない。しかもどう考えてもそれは普通のキスではない。不自由な身体を揺すり首を振って、あごをつかむ彼の指先から逃れようと暴れたけれど、それは完全にムダな抵抗だった。片手で簡単に肩を押さえわたしの視線の位置にまでしゃがみ込んだ彼が、にいっと不気味なほどに明るく笑う。次の瞬間押し当てられたのはやわらかな彼の唇ではなかった。
「んーっ! ん、んん、んーーっ!!」
 口に押し付けられむりやり含まされたものはピンポン玉に似ていたように思う。プラスティック独特のかつんと歯に当たる感触に驚く暇さえなく、唇の両端から垂れ下がっていた紐状のものが後頭部に回った。髪のあいだにねじれた結び目がきゅっと食い込む。苦痛というほどでもないけれど、不快なのは否めない。
「んーーっ!!」
 髪を振り乱すように首を強く振り暴れてみても吐き出せないのは自明の理だった。そんなわたしにどこか歌うような調子が降りかかる。
「これで、美雪さんはもう抵抗できないね。俺の好きなようにされちゃうんだね」
 半ば茫然と見上げたわたしに穏やかに笑いかけながら、すうっと頬を指先がなぞる。そのままあごから首、そして鎖骨の周囲を弄ぶように撫でて彼は楽しげに笑う。
 身体の自由だけでなく声までを奪われる。この状況をどう判断すればいいのだろうか。恋人同士ならば誰でも行うような行為ことなのだろうか。それとも……?
「さぁて。どうしようかなぁ」
 考え込むようにわずかに眉を寄せながら、彼の手はゆっくりと胸まで下がってきた。指先がワンピースの隙間から露出した肌を遊ぶように突付く。シフォンの衿のあいだから覗いたブラをムリヤリずらし、捻るようにやわらかくつまんで軽く指先で押し潰す。わずかな痛みを伴ったその刺激に反応してしまう。
「ん、ん……っ」
「乳首、気持ちいい?」
 楽しげに目を細めた表情が覗き込んでくる。こんな状況でと思えば思うほど耐えられない。指先でくにくにとこねられてぶるりと身体が震えてしまう。奥の方が物欲しげにひくつくのがわかってしまう。そんな自分の浅ましさに目を伏せることしかできない。
「いいんだよ、恥ずかしがらなくても。美雪さんが気持ちよくなってくれれば、俺も嬉しいし」
 くすくすと笑いながら彼はわたしのあごに指先を引っ掛けた。そのままくいと顔を上げさせられる。
「さっきだってさ、すげー気持ちよさそうだったし。まさか本当にイっちゃうとは思わなかったけど。でも」
 その楽しげなまなざしをできる限り鋭く睨みつけるも、彼は肩を震わせて笑うだけだった。嘲笑うように歌うように、その唇がゆっくりと動いた。
 ホントにイっちゃったね、あんなとこで――

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