花を召しませ番外編
White HESH -7

「ごめんね、美雪さん。ホントは信じてたんだよ。美雪さんは絶対に浮気なんかしないって。そんな人じゃないって」
「はいはい」
 背中越しに流れてくる何度目かの彼の詫びを軽く受け流した。薄く漂ってきた眠気と、そしてそれ以上の気持ちよさに、ほわりと思考の中心がぼやけてくる。そんなわたしの状態を知ってか知らずか、彼は少し甘えるように回りくどく言い訳を並べる。
「でも、バレンタインも逢えなかったし、正直結構寂しくてさ。美雪さんはその日はどうしてたんだろうって、仕事中もずーっと考えてて。そしたら変なところからの目撃情報でしょ。あの近くってヤバスポットいっぱいあるよねとか言われて、それでも美雪さんはそういう人じゃないって思ってたんだけど、今日久しぶりに逢ったらなんか超可愛くなっちゃってるしさ。女の人って恋したらきれいになるって言うじゃん? で、もしかして俺と逢わないあいだに他の男と……とか、一瞬思っちゃって。そういうことってあるでしょ? 気の迷いってヤツなの。ホントは信じてたんだ」
「ん、そうね」
 耳元でしゃかしゃかと泡が立つ音を聞きながら生返事を繰り返した。強すぎず弱すぎず、絶妙の力加減で頭皮のツボを圧される心地よさに、考える力が蕩けて消えてしまう。懸命な彼の言葉も、申し訳ないけれどその半分も聞いていない。
「だからその……今日はちょっと調子に乗りすぎました。ごめんなさい」
「うん、そうね。今日はさすがにひどかったよね」
「はい。ごめんなさい」
 そおっと目を流して、シャワーの横の壁に張り付いた鏡に映る彼の姿を見た。ひざまづき大きな肩を丸めてわたしの髪を洗う横顔に、男性に奉仕させているといるのだと言う、少し歪んだ優越感が満たされる。だからと言うわけでもないのだけれど、彼には反省してもらうのは当然としても、終わったことをいつまでも言い続けても仕方がないと思う。要は今日のことを彼が今後の教訓にしてくれればいいのだ。わたしが彼以外の男性を好きになることはないのだと、そう心の底から信じてくれればいい。
「ね、美雪さん。もう怒ってない?」
 おそるおそるの声に、知らず笑みがこぼれる。上目遣いでわたしの背中を見つめているであろう彼の様子が鮮やかに脳裏に浮かぶ。男性に向かって言っても褒め言葉にはならないのだろうけれど、それでも可愛いとしか他に表現のしようがない。
「そうね、もう怒ってないわ」
 母親の言っていた『いいことをしたら神さまが見ているのだから』の言葉に照らし合わせると、今回のできごとは少し理不尽だと思わなくもないけれど、隠されていた彼の一面を見ることができたと考えれば、これも一種の『いいこと』なのかもしれない。彼がわたしの浮気を疑って取り乱すということは、つまりはそれだけわたしを愛してくれている証拠だと考えてもうぬぼれではないだろう。そう思えば、勝手に頬が緩むほどに歌い出したいほどに、嬉しい。これ以上に幸せなことなんてこの世の中にないとさえ思う。
 それに、問題を多分に含んでいたとは言え、今夜の狂気的な行為が今まで知らなかったことを教えてくれたのも事実だった。好きな男性に人格を無視するように乱暴に扱われることが、あれほどまでに倒錯的な快感を伴っているとは知らなかった。だからと言ってもう一度経験したいとは思わないけれど、それでも。
 なんか、すごかった――。
 湯気のようにほわりと広がりかけた思考の片隅で、今までの価値観の全てが裏返りそうな先ほどまでの行為の快感を思い出してしまう。それだけで自分の奥がひくりと蠢く。慌てて口をへの字に結んで、流されそうになった気持ちを引き締めた。
「でも、許すのは、今回だけよ」
 自分が反応したという事実を脳裏から身体の外へと追い出すような気分で、わざと強い口調で言ってはみても、きゅっと耳の脇を押さえられると気持ちよさに理性が飛びそうになる。マッサージの快感は性的な記憶にどこかで繋がっているのか、ダメだと思えば思うほど痛いような痒いようなむずむずした感覚が身体の奥から沸き起こってくる。もっと直接的な箇所を刺激して欲しいとさえ思ってしまう。
「はい、わかってます。俺が悪かったんです」
 けれど、釘を刺した厳しい言葉には神妙な声が返ってきた。どうやら本当に反省をしているらしい。ならばこれ以上彼を責めるのは逆に気が引ける。わたしは彼が思ってくれているような清楚な人間では決してない。それどころか、彼に与えられる快楽を内心では常に求めているような、そんな浅ましい女なのだから。
「ん。じゃあ、この話は終わり。もういいよ」
「はい!」
 わたしの許しを得た彼の声がわかりやすく弾む。そのことにわずかな罪悪感を覚えながら鏡越しの彼の笑顔を横目で見た。
「じゃあね、美雪さん。そろそろ髪流すから」
「うん」
 シャワーヘッドに腕を伸ばす仕草さえ、先ほどまでと雰囲気が違う。うきうきした様子が伝わってくる。わたしが許しただけでそんなに喜ぶのかと、自分でも理解できない歓びに満たされながらゆっくり目を閉じた。彼の指先で温度を確かめられた温かいシャワーが前髪の生え際に当てられる。顔にかからないようにと、前髪から後頭部に向けてお湯が流れて行く。髪の隙間に入り込んだ指先が、繊細な動きで地肌を滑って泡を洗い流してくれる。
「ね、気持ちいい?」
「うん」
 優しい指にきゅっと地肌を押さえられると、思考がとろりと蕩けて流れて行きそうだ。他人に髪を洗ってもらうなんて、美容室以外で経験することはあまりないだろう。思い出すにはずいぶんと昔、それこそ幼稚園の頃までさかのぼらないといけないほどだ。その頃はこんな快感があるとは想像すらしていなかった。
「はい、頭おわり。次ね」
「え、ちょっ……」
 部屋に備え付けの、普段と違う香りのトリートメントを丁寧に髪に塗って流すと、彼は別のポンプに手を伸ばした。ボディシャンプーと書かれた丸っこい影に慌ててしまう。
「自分で洗うからいいよ」
「んーん、洗ったげる」
 逃げようとしたわたしの肩を軽く押さえ、大きなスポンジをやわやわともみながら彼はにっこりと嬉しそうに笑った。
「い、いいよっ」
「いいからいいから」
 歌うように楽しげに言いながら、泡で実際の形がわからなくなったスポンジをわたしの肌に当てる。肩から背中へやわらかく撫でられる感触に思わず背筋をピンと伸ばした。
「さっきたっぷり汗かいたでしょ? きれいにしないとね」
 鼻歌交じりの彼の手が肌を覆うように泡を全身に塗りつけて行く。背中から腕へ、胸元へ、お腹へ。そしてさらに下のほうへ。彼に他意はないのかもしれないけれど、でも。
「や、やっぱりいい。自分で洗うからっ」
 背中を丸めて逃げようとしたけれど、後ろから抱きすくめられると動けなくなった。プツプツと泡を潰しながら彼の胸が背中へと押し付けられる。
「そんなこと言わないでさ。ね、美雪さん」
 穏やかに伝わってくる体温とぬるりと滑る感触と囁くような声に、甘い稲妻が脳内を走った。
「や、ちょ……ダメだってばぁ」
 わたしを弄ぶようにスポンジがするりとお尻を撫でた。ふとももからお尻の辺りをさわさわと洗われると一気に鼓動が早まる。気持ちいいようなもどかしいような、変な気持ちになってくる。
「もういいから、やめてって」
「んーん。やめない」
「やだ、なんで……んんっ」
 楽しげな声と一緒にきた指があご先をつかんでくいと振り返らせた。驚く暇さえなく、呆気ないほど簡単に彼の唇に塞がれる。
「ん、んん……っ」
 それでなくとも身体は既にもう一度の快楽を欲している。彼を求めている。そんな状態を彼に知られてはならないと抵抗しようにも、口内を自由自在に這いまわられると、それだけで力が抜ける。全身に塗りつけられた泡のせいで、小さなプラスティックのお風呂いすの上でバランスを崩し、彼の胸に倒れ込んでしまった。
「きゃあっ!」
「おっとっと。大丈夫、美雪さん」
 さして力も入れていないような軽い仕草でわたしを抱きとめると、彼は嬉しげに目を細めながら、バッグを腕にかけるようにひざを軽く持ち上げた。脚を大きく開いて片ひざを立てさせられたわたしが壁に張り付いた鏡に映る。水滴で覆われて半分以上見えないとは言え、その姿は――。
「やっ、放して!」
「んー、それはムリだな」
 くすくす笑いながらスポンジをどこかへ投げ捨てると、彼はいやらしい手つきで肌を撫でまわし始めた。首すじを胸を背中を下腹部を、そして……。
「あ、あっ」
 大きく開かされた脚の付け根の部分へ指が伸びる。既に熱を帯びていたそこは、空腹の子どもが人目を気にせずヨダレを垂らすかのように、はしたなく潤んでいた。
「あれ、濡れてる?」
 不思議そうに目を細めながら彼はわたしの顔を覗き込んむ。その言葉は一応は疑問の形を取っていたけれど、間違いなく事実をわたしに確認させるためのものだった。
「ちがっ、あ……っ」
「でもほら。もうこんなに」
「やぁっ、あ、ん、くぅんっ」
 意地悪に優しく微笑みかけながら、卑猥な指がわたしの嘘を問い詰める。身体中でもっとも敏感な小さな突起に粘液を塗りつけられると、目の前がくらむほどの刺激が背筋を走る。抵抗できない原始の快感に声を上げてしまう。
「なぁんだ、美雪さんもまだその気あったんだ」
 俺だけじゃなかったんだな。
 呟くように言うと、彼は大きく口を開けたそこへ指を差し込んだ。彼の言葉通り、彼の指は難なく飲み込まれた。わたしの気持ちも知らず、抵抗をするどころか侵入者を歓迎して嬉しげに震え、奥へ奥へと迎え入れる。
「あ、くっ……んんんっ」
「ねぇ、指気持ちいい? 一本じゃ物足りない?」
 ほら、ここだよ。
 頬に押し当てた手のひらでわたしの視線を固定すると、彼は見せつけるようにゆっくりと指を抜き取った。相変わらずそこは自分の身体の一部分だと言うのが信じられないほどに生々しかった。赤く腫れ上がった肉の割れ目から細い粘液の糸を垂らすさまは、昔のハリウッド映画で見たエイリアンを思い起こさせた。犯すものがいなくなって安堵したはずなのに、パクパクと口を開けて次の刺激を求めている。目を背けたくなるほどの浅ましさに、かえって目をそらすことができない。
 けれど、これがわたしなのだ。快感を求めてやまない、呆れるほどにいやらしい女。
「俺の指にされるとこ、ちゃんと見てるんだよ」
 そんなわたしを知ってか知らずか、毒を流し込むように耳元に甘く囁きながら、彼はぬめるように光る中指に人差し指を沿わせた。わたしの表情を観察する視線を残したまま、再び奥へと沈めて行く。
「や、あ……っ! シズく……ぁっ、んんっ!」
 先ほどよりも物量感を増した指が細かく蠢きながら奥の方を犯して行く。勢いよく突きこまれるたび、指の隙間から白く泡立った粘液が流れ落ちてくる。くいくいとあちこちを指先で押し広げ音を立てて抜き差しされると、鋭い快感に全身が揺れる。もっと欲しいと言わんばかりに彼の指を喰い締めてしまう。

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